2026.09.11

効率だけでは語れない集落に、生き方が遺されていた~森を面白がる社長コラム~

お盆にじいちゃんが90年の人生を終えた。

じいちゃんは田辺市の山奥でばあちゃんと暮らしていた。 紀伊田辺の駅から1時間と少し。くねくねとした山道を進み、道がほとんど終点になったころに、じいちゃん家がある集落が見えてくる。電波はもう届かない。口にするものは山の水、畑の野菜、川魚やシカ。週に何度かくる移動販売車で市販のものをたまに買う。そんな集落。

(集落付近の写真)

私は生まれた時から、ほとんど毎年じいちゃん・ばあちゃんのところに遊びに行った。

春は田植えやお茶摘み 夏は川遊びや鮎取り、盆祭りに手持ち花火、トンボとり 秋には運動会 冬はおもちやお年玉。

いろんな思い出がある。

(小さい時にいとこたちとみんなで手持ち花火をした)

二人には子どもが6人いた。その中の一人が私の母。 私の母方のいとこは24人。 長期休みのときにじいちゃんのところにいくと、いつも誰かがきている。 来るいとこはその時々で違うけれど、いつも人でいっぱいのお家。

いとこだけじゃない。 お嫁さんや旦那さん、親戚、ご近所さん、郵便局の人や移動販売の人。 いろんな人が寄っていく家。

人だけじゃなく、ヤマドリも遊びにくる。

そんなじいちゃん・ばあちゃん、そしてその二人のおうちが大好きだった。

(遊びに来るヤマドリの写真)

じいちゃんの仕事とナタ

じいちゃんは林業をしていた。 私がこの仕事をしはじめてから、それを知った。

小さい時遊びに行くと、昼間はだいたいばあちゃんしかいなかった。 「じいちゃんは?」ときくと、「山いったよ」と毎回返事があった。

「へ~」当時はそんな感じ。林業という仕事も知らないし、山に行くって何だろうくらいの感じだった。

大人になって、起業したことをじいちゃんに話した。山にいく仕事だと伝えた。 そしたらじいちゃんは「俺も木を植えたり、下刈りをしていた」と話してくれた。今でいうとフリーランス林業家。仕事があれば県外にも呼ばれ、いろんなところで山仕事をしたのだそう。

小さいときにじいちゃんが山にいたのは、林業をするためだった。

じいちゃんは私が起業したときにはもう山には行かなくなっていた。 だからじいちゃんは私に自分が使っていた「ナタ」をくれた。これ山で使うだろうって。 嬉しかった。じいちゃんがずっと使っていた道具を引き継げることが。

(じいちゃんとお茶をつくりながら話す写真)

そこからたまに家に遊びにいくと、山の話をしてくれた。当時の山仕事の話や いろんな地域に行くことがどれだけ人生を豊かにするかという話。私がいろんな地域に行くよというと「それは人生においてとてもいい経験やからいろんな場所に行っていろんな人にあうといい」と言ってくれた。

私の中のじいちゃんはまじめでいつも何か仕事をしている。山仕事をしたり、薪割りをしたり。落ち着くとテレビの前に座って演歌をきいたり、野球をみたりしている。ご飯の時間になると食卓の前に座り、一緒にごはんを食べる。魚は頭から全部。健康のために梅干しを一個つまむ。そして私たちにおやじギャグを言って笑わしてくれる。まじめだけど、面白い。そんなじいちゃん。

見送りの一週間

(この夏もくるヤマドリ)

お盆にじいちゃんは亡くなった。 葬儀にはいとこ24人全員が集まった。ひ孫8人も全員きた。出棺のとき、じいちゃんちの近くに住む親戚のおいちゃんが花火を打った。何発も何発も。じいちゃんをのせた車がみえなくなるまで。その花火の音をきいて、ご近所さんが家から出て手をあわせてくれていた。

車で2キロ程走ると次の集落がある。霊柩車が急にとまったと思ったら、その集落の人が約20人ほど出てきてくれていた。じいちゃんがどれだけこの地域の人と関わっていたのかがすぐに分かった。

ばあちゃんは「じいちゃんは幸せや。孫もひ孫も、みんな遠くにいても、誰ひとり欠けずに来てくれた。こんなことないよ。」と何度も言っていた。人生がどうだったかの最後は、人が決めるんだと思った。私もじいちゃんは幸せだと思った。

川辺の風習

火葬してから葬儀までの間、少し日にちがあった。私は妹たちとばあちゃんちで過ごした。いつもの夏のように、自然の中で遊んだ。近くの小学校までランニングをして、そのまま川に飛び込んだ。

(ランニング後の川遊びの写真)

川で泳いでいると、母の兄妹と、さっき花火を打ってくれたおいちゃんも来た。手にはいっぱいの食べ物。川辺で石を組んでそれを並べる。この時期には家ごとに石を立てて供え物をするらしい。

「なぜ川でやるのか」と聞いたけど「知らんけど、水があるところでするんよ」とのことだった。なぜ川でするのかは分からないけど、ナスやキュウリ、ミニトマトなど備えるものは毎年同じ。この場所。近くでは火をたいて、お札やその年に狩猟したシカの写真を燃やし供養する。そしてやっぱりここでもおじさんは花火を上げる。花火を上げる理由も分からない。花火が上がると音がすごくて、みんな「わー!」と盛り上がる。厳かなのに楽しい。

(お供えものの写真)

そういう供え物をすることも、花火を鳴らすことも、お盆の時期の風習らしい。川辺で行うお供えは「精霊送り」と言ってお盆に家に迎えた先祖をお盆の終わりにあの世へ安全に返すための風習。 ナスとキュウリはよく知られているが先祖が乗るのりもの。 りんごやミニトマトは夏の初物で、乾きや飢えに苦しむ霊へ水分を与える意味がある。すべての意味をみんなが理解しているかは分からないが、少なくとも、その風習が今もここに残っていて、できる人がいる。

花火の意味

そして花火。 山奥では「今から精霊をお送りします」「無事に送りました」という意味で花火や爆竹を鳴らす地域があるらしい。 また、大きな音や光は先祖や送られる霊が迷わずに天に帰る道しるべの意味もある。

出棺の時の花火も、「集落の知らせ」そして「山の神様や先祖への敬意」などの意味があるんだそう。

(花火をあげるおじさん)

たべるものとして採ったシカ、今まで繋いでくれた先祖、そしてじいちゃん。みんなを無事にあの世へ送り、感謝とこれからの安全を祈る、地域性のある暖かいけど厳かな風習。

そういえばおいちゃんは私たちが夏にじいちゃんの家から帰るとき、爆竹を鳴らす。いつも「もう、こわい~」とか「音すごいっ!」とかって笑っていた。

あれは私たちを楽しませようという気持ちもあるが、集落のみんなに「この子ら帰るよ、安全に」という意味もあるんじゃないかと思った。おいちゃんがそう思っているかわからないけど、私はこれから花火の音を聞くとそういうメッセージに聞こえると思う。

おいちゃんもきっと昔だれかに教えてもらったんだと思う。でも、きっとそれは教育や文化など堅苦しいものではなく、「一緒に川いくぞ」「一緒に花火打つぞ」って、なぜがその場所で続いてきたもの。厳かだけど、子どもも大人もちょっと楽しい。笑いが起きるもの。

生きること、死ぬこと、暮らすこと、地域のきまりごとや遊び。それらはすべて日常の中でつながっていて、続いている。

(シカ見に行くぞ!の写真)

日常の中に続くもの

私たちが森に関わること、防災を広げることにも大事な考え方だと思う。 それらの大事さがつながるには、戦略や教育、文化の継承などという堅い、頭で考えられたことじゃないのかもしれない。 日常の延長であり、楽しさであり、つくられていない伝承。

お茶もみをするばあちゃんたち

人口が減り、インフラの維持などの観点でこのような限界集落がどうあるべきかという議論がある。地方から都会に人を集約したほうが効率がいい。ただ情報として届くことすらない、その場所に残り続いているものがあって、そこから生きることとは何かを学ぶことができる。効率や金銭的なことだけが指標であってはならないと思う。生き方や哲学の一つがある。

(ばあちゃんに教えてもらって一緒につくっためはり寿司)

じいちゃんの集落には、GDPにも人口統計にも表れない資産がある。川辺の供え方を知っている人、出棺の音を聞いて手を合わせに出てくる隣の集落、爆竹の音ひとつに「安全に帰ってね」という意味を持たせてしまう関係性。これらは効率で測ればコストにしか見えないかもしれないが、実際にはこの土地が何十年間、あるいはそれ以上の間、人を孤立させずに見送るところまで機能し続けてきた証拠でもある。人が減る集落をどう畳むかという議論の前に、こういう場所が何を「持っている」のかを、経済や政策の言葉でもきちんと語れるようになりたいと思った。

じいちゃんが旅だち、生きることと地域を考えた一週間だった。

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